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教員養成の歴史は、教員採用試験でよく出題される内容なので、ポイントをきちんと抑えておきましょう。
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明治時代
明治5年
日本の近代学校制度は明治5年の「学制」に始まります。
全国を8大学区に分け、1つの大学区に32の中学区があり、1つの中学区に210の小学区が制定されました。
近代的な教育方法を学ぶ師範学校が東京都に設立されました。
明治6~7年
各大学区に官立師範学校が設立されました。
明治5年に設立された東京の師範学校の卒業生が官立師範学校の教員となりました。
この時点では近代的な教育方法を教える教員が不足していました。
明治12年
「教育令」が公布され学区制が廃止される。
明治13年
「改正教育令」で各府県に師範学校を設置することが義務化されました。
明治14年
「師範学校教則大網」の制定により、教員養成が明確化された。
- 初等師範学校:小学校初等科の教員養成
- 中等師範学校:小学校初等科と中学科の教員養成
- 高等師範学校:小学校初等、中学科、高等科の教員育成
明治19年
初代文部大臣の森有礼が教育改革をおこない、「教育令」を廃止して「学校令」を公布した。
「学校令」では、小学校令、中学校令、帝国大学令、師範学校令、諸学校通則を制定しました。
師範学校令で師範学校は、尋常師範学校と高等師範学校に分けられ、尋常師範学校は各府県に1校が原則とされました。
教員は「順良、信愛、威重」の3気質が理念として明確化され、文部大臣及び地方長官による免許状が交付されました。
明治30年
「師範学校令」が廃止され、「師範教育令」が制定されました。
「師範教育令」では、師範学校、高等師範学校、女子高等師範学校の3つわけられました。
明治33年
「教育免許令」と「教員検定二関する規定」により試験や成績優秀者から免許状を授与する仕組みとなりました。
明治33年になって、ようやく教員の数がある一定数になったことで、試験や成績優秀者から免許状を授与する仕組みになりました。
明治40年
「師範学校規程」が制定され、本科第1部に加え本科第2部が設けられた。
- 本科第1部:高等小学校卒業者に対して入学資格が与えられる
- 本科第2部:中等学校卒業者に対して入学資格が与えられる
昭和時代(第二次世界大戦前)
第2次世界大戦に突入すると教員養成の理念がこれまでとは大きく異なり、皇国民の錬成をおこなえる教員を養成することが目的とされるためです。
昭和16年
「国民学校令」により、小学校が国民学校に改名され義務教育期間が6年から8年となった。
皇国民を錬成するのが教員の役割で、要するに戦時体制の教育をするための教員養成が必要であると指摘されています。
昭和18年
「師範教育令」が改正されました。
- 府県立師範学校は官立へと移管:権限が府県立から官立へ移管
- 本科は3年とし専門学校程度の教育機関化
- 教科書が国定化
昭和19年
「師範教育令」が改正されました。戦時中のため改正する頻度が高くなっています。
青年学校教員の養成にあたる青年師範学校が新設され、本科は3年で専門学校程度の教育機関化とされました。
戦時中は、教員の養成は短縮され、理工系の学生と同じく徴兵免除されていました。
昭和時代(第二次世界大戦後)
敗戦後すぐに文部省は戦時教育令を廃止して、「新日本建設ノ教育方針」を打ち出したが、GHQにさらなる改革を要求されました。
昭和21年2月
第1次米国教育使節団の報告書で、教員養成教育の欠陥が指摘され、「師範学校を高度化するか」「一般大学で教員養成するか」勧告されました。
昭和21年12月
日本の教育刷新委員会は、第1次米国使節団の報告書指摘を受け、「教員の養成は、総合大学及び単科大学において、教育学科をおいてこれを行う。」という方針を採択した。
昭和22年3月
「教育基本法」と「学校教育法」が制定される。
教員養成を目的とする学校についての規定は設けず、教員養成の開放性を原則とし、教員の活動をあらゆる拘束から解放することが求められました。
昭和22年11月
教育大学の設置は認められず、官立師範学校が学芸大学7校として再編成され、それ以外の師範学校は総合大学の教育学部や学芸学部に編成及び統合されました。
昭和24年9月
「教育職員免許法」が制定される。
教員養成の開放性と専門性が確立される。
- 教員になるための免許状を取得する必要性がある
- 大学で取得すべき単位が規定される
- 開放性の原則が確立される
教員以外の教育行政を担当する校長、教育長、指導主事にも免許制度が導入される。
まとめ
法令 | 内容 | |
明治5年 | 学制 | 師範学校(東京のみ) |
明治6~7年 | 学制 | 官立師範学校 |
明治12年 | 教育令 | |
明治13年 | 改正教育令 | 師範学校(各都道府県) |
明治19年 | 学校令(師範学校令) | 尋常師範学校(各都道府県)と高等師範学校 |
明治30年 | 師範教育令 | 師範学校、高等師範学校、女子高等師範学校 |
昭和16年(第2次世界大戦前) | 国民学校令 | |
昭和18年 | 師範教育令改訂 | 権限が府県立から官立へ移管 |
昭和19年 | 師範教育令改訂 | 青年学校教員の養成にあたる青年師範学校が新設 |
昭和21年2月(第2次世界大戦前) | 、「新日本建設ノ教育方針」を打ちだす | |
昭和22年3月 | 教育基本法と学校教育法 | |
昭和24年9月 | 教育職員免許法 | 教員養成の開放性と専門性が確立される |
教員採用試験で、教員養成の歴史を出題する都道府県と出題しない都道府県があります。教員採用試験を受けようと思っている都道府県の過去問を早めにチェックしましょう。