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「起立、礼、着席」そして給食の後には「掃除の時間」です。
私たち日本人が子どもの頃から当たり前のように繰り返してきたこのルーティンは、世界の常識から見ると、極めて「異質」であり、同時に「驚異的」なシステムであることを知っていたでしょうか。
海外の教育関係者が日本の学校を視察に来たときに、最も衝撃を受けるのが、「子どもたちが、自分たちの教室を、自分たちの手で清掃している姿」だと言われています。
なぜ、日本では学校で掃除をするのでしょうか? 単なる経費削減? それとも精神修行?
本記事では、歴史的なルーツから、文部科学省の定義、そして世界が称賛する教育効果まで、教科書には載っていない「掃除の真実」をレポートします。
- 歴史的背景: 鎌倉時代の禅宗による「作務(さむ)」の精神と、明治初期の「学校運営資金不足」という現実的な理由が融合して定着した。
- 教育的意図: 現在は法的根拠(学習指導要領)があり、「特別活動(奉仕)」の一環として、協調性や公共心を育むカリキュラムと位置づけられている。
- 世界的評価: 教科書では教えられない社会性を育む「Hidden Curriculum(隠れたカリキュラム)」として、海外(特に中東やアジア)での導入が進んでいる。
まず、世界のスタンダードと比較して、日本の立ち位置を明確にしましょう。
結論から言えば、「生徒全員が毎日掃除をする」という国は、世界でも日本とその影響を受けた一部のアジア諸国だけです。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどの欧米諸国では、学校の掃除は「ジャニター(Janitor)」や「カストディアン(Custodian)」と呼ばれる専門の清掃スタッフが行います。
これには明確な文化的・契約的な背景があります。
欧米社会には「分業(Division of Labor)」の考え方が強く根付いています。
「生徒の仕事は勉強すること」「教師の仕事は教えること」「掃除は清掃員の仕事」と、役割が明確に分かれているのです。
もし生徒に掃除をさせれば、「親は高い税金や授業料を払っているのに、なぜ子供に労働させるのか?」「清掃員の雇用を奪うのか?」というクレームになりかねません。
では、海外の生徒は全く掃除をしないのでしょうか?
実は、映画やドラマで掃除をしているシーンを見ることがあります。しかし、それは教育ではありません。 「ディテンション(Detention)」と呼ばれる「懲罰」です。
授業態度が悪かったり、校則違反をした生徒へのペナルティとして、「放課後の掃除」や「ガム剥がし」が命じられます。つまり、多くの国において「掃除=悪いことをした人がやる苦役」というネガティブな刷り込みがなされています。
日本のように「みんなで協力してやる神聖な活動」という文脈は、文化的に理解されにくいのです。

ここからは、時間を使って「なぜ日本にだけ定着したのか」を深掘りします。
実は「崇高な精神論」と「切実な懐事情」という2つの側面が見えてきました。
日本の掃除文化の精神的な支柱は、鎌倉時代に広まった禅宗などの仏教思想にあります。
禅寺では、掃除は「作務(さむ)」と呼ばれ、座禅や読経と同じくらい重要な「修行」と見なされます。
「一掃除、二信心」という言葉がある通り、まずは場を清めることで、自分の心の塵(ちり)を払うことができると考えられています。
江戸時代の「寺子屋」でも、子供たちは師匠への感謝と修行の一環として、自ら机を拭き、床を掃いていました。
この「場を清めることは、自分を磨くこと」という道徳観念は、宗教色を超えて日本人のDNAに深く刻まれています。
しかし、精神論だけで全国に広まったわけではありません。
明治5年(1872年)に「学制」が発布され、近代的な学校制度が始まりましたが、当時の日本にはお金がありませんでした。
当時の文部省や学校には、清掃業者を雇う予算などどこにもなかったのです。
また、当時の授業料は家庭にとって大きな負担でしたが、それでも学校運営費はカツカツでした。
「掃除夫を雇う金がないなら、自分たちでやるしかない」 この極めて現実的な経済的理由が、前述の「寺子屋からの勤労精神」と結びつき、「掃除は自分たちでするもの」というルールが正当化され、定着していきました。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導により、日本の教育は民主化されました。
軍国主義的な活動は排除されましたが、意外にも「掃除の時間」は生き残りました。
当時の教育者たちが「掃除には、民主主義に必要な『協調性』や『自治』を育む力がある」として、その教育的価値を主張したと言われています。
現在、学校掃除は文部科学省の「学習指導要領」において、「特別活動」の中の「奉仕的行事」や「学級活動」として位置づけられています。
つまり、掃除は単なる作業ではなく、国語や算数と同じく「国が定めた正式な教育カリキュラム」の一部なのです。

感情論ではなく、教育学や心理学の視点から、掃除がもたらす効果を分析します。
学校には、教科書で教える知識以外に、学校生活を通じて無意識に学ぶ「隠れたカリキュラム」が存在します。
掃除はその最たるものです。 「自分が汚したわけではない場所」を掃除することで、「誰かがやらなければ、社会は回らない」という事実に気づきます。
これが、日本人の高い「公共心(Public Spirit)」の源泉となっています。 「汚すと掃除が大変になる」と身をもって知っているからこそ、公共の場をきれいに使おうとする抑止力が働くのです。
犯罪心理学に「割れ窓理論」というものがあります。
「建物の窓が割れているのを放置すると、誰も注意を払っていないというサインになり、犯罪が増加する」という理論です。
これを学校に当てはめると、「校舎が汚い学校は荒れる」となります。
毎日自分たちの手で磨き上げることで、学校への愛着(School Pride)が生まれ、校内暴力や落書きなどの荒廃を防ぐ効果が期待されています。
日本の掃除の特徴は、優等生も、ガキ大将も、先生も、「全員が同じ雑巾を持つ」という点です。
勉強ができても掃除をサボれば尊敬されませんし、逆に勉強が苦手でも掃除の手際が良ければヒーローになれます。
社会的な地位や成績に関係なく、「汗をかいて働くことの尊さ」を平等に体験する場は、格差が広がる現代において貴重な機会と言えます。
「日本式教育」は今、有力な輸出コンテンツになっています。
エジプトでは、日本の教育を導入した「エジプト・日本学校(EJS)」が急増しています。
ここで最も重視されているのが「TOKKATSU(特活)」です。
現地の保護者からは当初、「うちの子を掃除夫にする気か!」という猛反発がありました。
しかし、子供たちが協調性を身につけ、自律的に行動する姿を見て評価が一変します。
現在では、エジプトの一般公立校にも掃除時間を導入する動きが国策として進められています。
もちろん、全てが手放しで称賛されているわけではありません。現代の研究者として、学校掃除が抱える課題にも触れておく必要があります。
現代の学校現場は多忙を極めています。
わずかな休み時間を削っての掃除指導は、教員にとって大きな負担です。
また、厳しすぎる掃除点検や、連帯責任で掃除をやり直させる指導は「ブラック校則」の一種として批判されることもあります。
さらに、アレルギー体質の児童への配慮や、トイレ掃除における衛生面のリスクも無視できない問題です。
こうした課題を受け、最近では「ハイブリッド型」を採用する学校が増えています。
- 教室や自分の机周り ➔ 生徒が掃除(心の教育)
- トイレ、廊下、高所の窓 ➔ 業者が清掃(衛生・安全・負担軽減)
教育的意義のある部分だけを残し、負担が大きい部分はアウトソーシングする。時代に合わせて、学校掃除のあり方も最適化されつつあります。
最後に、学校掃除に関するよくある疑問をQ&A形式でまとめました。
A. 本来は「師弟同行(していどうこう)」の精神に基づき、教員も一緒に汗を流すのが理想とされています。
しかし、現在は教員の事務作業や会議が増え、監督に回らざるを得ないケースも多いのが実情です。
A. 台湾や韓国など、日本統治時代の名残や儒教文化がある地域では実施されています。
しかし、欧米、オセアニア、南米などの大半の国では、前述の通り専門スタッフが行います。最近ではシンガポールのように、あえて導入を始める国も出てきています。
A. 議論が分かれるところです。「人が嫌がることを進んでやる」という精神修養の面を評価する意見がある一方、「衛生観念の変化」や「感染症対策」から、トイレだけは業者委託(または乾式清掃)に切り替える学校が増えています。
学校の掃除時間がなぜあるのか。 その答えは、「歴史的な必然性」と「計算された教育効果」のハイブリッドでした。
- 始まり: お金がない明治時代の苦肉の策と、禅の精神が融合した。
- 現在: 「特別活動」として、公共心や協調性を育むための授業となっている。
- 未来: その効果が再評価され、世界へ「TOKKATSU」として輸出されている。
面倒くさいと感じていたあの15分間は、実は私たちを「日本社会の一員」として育て上げるための、精巧にデザインされたプログラムだとも言えます。
- 文部科学省「学習指導要領(特別活動)」
- 文部科学省「日本型教育の海外展開(EDU-Portニッポン)」
- JICA「エジプト・日本学校支援プロジェクト(EJS)」
- 貝塚茂樹著『戦後日本教育史』


